表現しないと!/Express Yourself!

USの学校や社会では、よく「Express Yourself!(自己表現しよう!)」と言う。
私も自分を表現することはとても大事だと考えている一人だ。ものをどんな風に考え、どう表現し、どう歩いていくのか。毎日は小レベルの自己表現の連続によってできている。その選択が、複数の相手に印象となってイメージを与えている。例えば自分自身のビジュアル。着る服で自己表現するのか、しないのか。する場合はブランドに頼るのか、それともブランドを敢えて避けるのか。もっと別なことで個性を表現するのか。収入や職業、パワーを示す服装をしたいのか。内面から滲み出るビジュアルインパクトはどうか。強い視線をもっているのか。姿勢よく歩く自信のある後ろ姿をしているのか。猫背なのか。身奇麗にしていても、どこか自信がなさそうなのか。言葉を交わしたら、相手の興味をそそる表現力を備えているか、それとも遠ざけてしまっているのか。


高校生のとき、校則が厳しくて何も自己表現が許されなかった。
だから夏休みに緑のメッシュを入れたり、学校支給の鞄に注射器のイラストをドラッグ禁止のメッセージを描いたのを覚えている。自己表現する時間は、週末の私服時間だけ。あるいは、ほんのたまに武道館やNHKホールあたりにロックコンサートに立ち寄る時に、駅のトイレで私服に着替えた時だけが、ほんのひとときの開放された自己表現時間だった。そのころ、通学途中で立ち話をした場所は池袋で、特に歓楽街とか渋谷や六本木には全く興味はなくて、原宿までヘアカットに行くことや、CISCOなんかでCDとかを探すことが私のスタイルだった。


一番服装に気を使っていたのは20代前半。生意気な新人時代は大人ぶって一番突っ張っていた。高校生の頃は高校生である自分が嫌だったように、20代前半の頃も相当嫌だった。旅行会社では色々な人との出会いの連続で、そんな毎日がとてつもなく刺激的だったけど、若い女性だからとクライアントにちやほやされたり、煩わしい目に遭うことも結構多くて、よく同期の男の子たちに文句を言っていたのをよく覚えている。当初のヒールの靴とマニキュアの指にハンドバッグも、段々パンツスーツとマニキュアのない指、満員電車でも潰れない鞄になっていった。あの頃は、よく電車内で、見知らぬ誰かに色々つっかかられたことも多い。「女のくせになんだ」とか、「英字新聞なんか読んで」とかいいたがる男性がいたり、痴漢に相当迷惑蒙って、地下鉄の駅のホームを追いかけられて駅員室へ駆け込み、保護してもらいながらタクシーで自宅まで帰り、翌日駅までお礼にいったこともある。その日着ていたのは、トレンチコートで何一つ露出度も高くなかったけど、そういう服装できちんとしていればいるほど、つっかかってくる相手は多かった。仕事と女性と服装の相関関係。


ここ数年は、そういう緊張感とは掛け離れたところにいる。
Tシャツとジーンズにロングヘアだけだ。それでもちょっとこだわりの表現はある。髪は痛んでいないこと。肌もなるべくヘルシーに保ちたい。また泳ぎ始めよう。まっすぐな心と、曇っていない目をもち、姿勢のいい大人でありたい。いつまでも突っ張って、尖ったヤツのままでいたい。そして、どこかロックなスピリットを隠しもつ、そんな女で私はありたい。