わかってもらおうとすること/To Be Undertood Well

唐突だけど、わかってもらおうとすること、わかりたいと思うことは対人コミュニケーションの基本だ。そして、心の底から誰にもわかってもらいたくないと思ってる人間なんて、殆どいるまい。


対話」劣等生の眠たい日本人" style="border: none;" />それなのに、わかってもらいたくないみたいな物言いをしてしまったり、わざわざ敵を作ってしまう人って案外多い。残念なことだ。胸の奥の本心や、なかなか見せない面についてまで言っているわけじゃない。もっと表面を行き交う会話の話だ。人と会話のキャッチボールができないとか、必ずしも興味津々の相手ではないまでも、大人としての会話を成立させる必要があるシーンで、ちゃんとお話ができないのって、相当致命的なことだとおもう。


誰だって、初対面の人と会話がポンポンできる訳でもない。
なかなか対話にならない相手から、何かを引き出すことは簡単ではない。だからこそ、黒柳徹子タモリ、Larry Kingなどロングランでトークショーを持っている人って、凄いと思う。尊敬する。と同時に、結局のところコミュニケーションとは、こちら側が上手に引き出せればジェネレーションや性別、職業、タイプを超えてできるものなのだと証明される。


けど、もちろんのこと、わかってもらおうとする力が相手にゼロだったら無理だ。
わかってもらおうとする力と、わかろうとする力が両方あれば、ちょっと語学が下手くそでもコミュニケーションは成立するくらいだ。せっかく立派な考え方をしているのに、表現不足と、対話力不足からいつも人と摩擦をしてしまうとある人と、世代とか常識以前の相手に対する礼儀や愛嬌レベルから出直した方がよさそうな社会人一年生たちを見て、疑問に思う。そういえばドイツ在住のジャーナリスト、クライン孝子さんが書いていたっけ。こんな本。