環境がかえる人間/People and Environment

aztimegoesby2005-02-23

お友だちの妊婦さんが、もういつ産まれてもいい状態に入った。妊娠したことのない私から見ると、何もかも不思議にしか見えない。大きなおなか。彼女自身の変化。食欲を抑えないとおなかがすいてたまらないということ。などなど。おなかを触ってみたら茹で卵みたいに堅い!おなかの中に子供がいることが何よりも幸せで、満ち足りていて、「まだしばらくこのまま中にいて欲しい」くらいだそうだ。女性にしかわからない幸せの瞬間は、赤ちゃんがおなかにいる月日だという。ふ〜ん。なんだか不思議で、そしてそう時々刻々と母親らしい顔に科学変化していくお友だちを見ていると、人って環境によって新しい顔をもつものなのだなぁと実感する。


人間って環境の生き物だ。
「たら・れば」的発想で、日本が共産主義国家だったら、とか男性も妊娠ができたら、今が平安時代だったら、戦国武将の誰かだったら、世界の共通語が英語でなくフランス語だったら、もしも私が双子だったら、もしもこの会社にいなかったら、もしも今ここでなくあそこに暮らしていたら…と想像すると、自分自身の性格も、人生も、選択肢もすべてがきっと違うはずだと簡単にわかる。もちろん生まれつき備わっている資質や性格はあるはずだが、その後の環境で人間は変わる。平和な時代の日本に生まれ育ったことと私の性格は大きく関係があるし、生き方にも考え方や価値観にもその環境が与えたものが大きい。


例えば、今のこのライフスタイルの中において私はいろいろなことを判断している。これが同年齢、同条件であったとしていても暮らしている国や場所がモンゴルだったら、パリだったら、コートジボアールだったら、すべてそこの基準や常識の範囲に暮らしているだろうこともわかる。例えばあたり前のように大学に進み、就職し、何歳くらいで結婚してどうの…とか子供だできたら専業主婦になるか、ならないかの選択肢は今この時代の日本の基準であり、他の国ではもっと別の解決方法があったりなかったりするだろうし。


職業はとても強く現代人のフレームを作る環境のひとつといえる。
私も明らかに前職と現職のブレンドになってきているし、なんだか歩んできた道の顔になってきている。今後どんな道を歩んで、どんな顔に変わっていくのか半分知ってて、半分知らないような感じだけれど、自分の顔に責任を持てる人間でありたい。