聖路加国際病院/St.Luke's Hospital On the Day of the Sarin Gas Attack 10 Years From Now

プロジェクトXの「地下鉄サリン 救急医療チーム 最後の決断」会を観た。ちょうど10年前になる地下鉄サリン事件だそうだが、事件現場にほど近い聖路加国際病院がその野戦病院がことく対応状況に今にして知った。聖路加といえば、昨今では「患者が決めたいい病院!ランキング」などでも上位にランクされているはずの人気病院。人気の理由は、全室個室、ギャラリーやホールなどのあるどことなく病院らしからぬ綺麗でラグジャリアスな設備なのだと思っていたが、この会の放送を観て、もっと別のところに理由があるのかもしれないと感じた。
病院建築のルネッサンス―聖路加国際病院のこころみ (INAX BOOKLET 11No.2)


事件当日の朝8:40頃、小伝馬町駅などで突然地下鉄から降りてきた乗客がホームに倒れ始め、現場にほど近い聖路加には次々と救急患者が搬送されてくることになる。「爆破事件があった」という第一報を受けた病院側は、外傷患者の搬送を覚悟して待機するが、患者は誰も外傷を負っていないことに現場はまず混乱する。救急医療現場では、当然のごとく、原因が究明されないまま緊急措置を要する患者が搬送されてくることになる。しかもこの事件では数百という数の原因不明の患者が押し寄せ、中には心停止をしている状態の患者も現れ始めた。急がれる原因究明と、既に都内に受け入れ病院が間に合わず、やむを得ず連絡を待たずして搬送してくる救急隊員たち…。


先般の高松宮妃の件や、紅白歌合戦などメディアでも姿をよく見る聖路加の日野原重明院長は、1992年に完成した現在の聖路加国際病院のデザインを手がけた本人だそうで、「かつての東京大空襲を思い出し、いつ災害が起きても対応できる病院作り」のために闘ったそうだ。全室に酸素吸入機の取り付け口をつけるなど、災害時の救急に備えた設備は、竣工からわずか数年後の地下鉄サリン事件で大いに役に立つことになる。


聖路加に行ったことのある人はわかると思うが、元電通の入っていた聖路加タワーと聖路加国際病院のあるあの一帯は広々としていて車の通りからも外れている。チャペルや公園、幼稚園なども近くにあり、緑多い落ち着いた一角だ。事件当日は、おそらくあの一角が交通量も少なく、広い通りであることに効を奏したであろう。なんと、最終的に650人もの急患が聖路加に搬送され、収容されることになったというのだ!一刻を争う緊急自体の中、患者の多くはしばらくは路上や廊下で措置を受けることになったであろう。そんな中、日野原院長の判断はこうだったというから凄い。


「外来治療を全て停止して、救急患者の治療をする」。
朝のニュース報道等で緊急事態を察知した看護婦や医師たちが、自分達の意志で出勤し、現場の対応に当たる中、全室に酸素吸入装置などを取り付けていたため、チャペルなども救急病棟として対応することができ、すぐさま100名規模の収容が可能になった。現場では医師、看護婦、製薬会社、救急隊員などが一丸となっての闘い。一方で、患者に襲い掛かった原因究明に苦悩していた石松医師らは、一歩先にサリン患者を取り扱った信州大学の医師からの一本の電話でのコメントを手がかりに、サリンガス中毒による被害であると判断、その解毒のために危険な賭けに出ると、その措置が効果を見せ始める。この解毒措置に必要なPAMという薬、聖路加には20個しか在庫がなかった。名古屋の一社でしか取扱のなかったこの薬の在庫を集めるため、製薬会社も必死の奔走の末、新幹線こだま号で途中各駅のホーム上で少しずつ在庫をかき集めを行い、250ほどの在庫を届けに東京へたどり着いたというから感動する。


元々キリスト教の教えを汲み、戦後一時期は米国極東軍中央病院となっていたこともあるというこの病院、単なるラグジャリー空間が売りの病院ではなかった。またプライベートケア、ホスピスなど心のケアを大切に考えているところなども人気の理由なのだろう。