いま、会いにゆきます

「いま、会いにゆきます」 あの六週間の奇蹟


梅雨あけ宣言をしてしまいそうな日曜日。
梅雨あけというと、昨晩観た映画「いま、会いにゆきます」では雨のシーズンがとても重要なキーワードになっていた。一年前に28歳で死んでしまった女性が、雨のシーズンだけ夫と子どもに会いにくる。そして梅雨があけると再び消えてしまうという約束だから。純愛ブームでは、「冬のソナタ」、「世界の中心で会いをさけぶ」、「いま、会いにゆきます」などが大人気だけど、私は一連の作品がかなり苦手だ。ただ、いずれの作品も四国や松本の美しさが際立っているのは特筆すべき。そのくくりでいうと「スイングガールズ」も山形の緑の風景をふんだんに織り交ぜていた。私がすきな純愛でいうと、アメリカの「ゴースト」や韓国の「僕の彼女を紹介します」かなぁ。いずれにしても、逃げ場のない哀しみの中に閉じこめられて、観客が大泣きするような作品は大苦手。どうしようもない哀しみを描いていても、生きている者が明日への希望をつなげるように描かれていて、観客も映画館を出るときにはすっきりしていないとだめ。同じ理由で戦争映画でも「7月4日に生まれて」は嫌いで、「プラトーン」はOK。


泣く映画としての純愛映画は苦手だが「いま、会いにゆきます」で共鳴した箇所はいくつもあって、例えば女性が交通事故に遭い、未来の自分の運命をみてしまい、誰と結婚し、子どもを生み、死んでしまうかを知った上で、自分の意志でその運命を選ぶこと(女性に意志があり、決意して選択している)。パートナー君も指摘していたけれど、作品の中で登場人物たちが涙をほとんど流さないこと(涙でぐじゃぐじゃの作品ではない)。謎解きのような答え合わせをしていくストーリー展開によって残された夫から見たふたりのストーリーと、彼女が見てきたふたりのストーリーが双方に答え合わせされ、その結果お互いが2度恋に落ちるような展開になっていること。