曽我ひとみさん/The Life of Abduction Victims

曽我ひとみさんのお父さんが亡くなったという記事を読み、ひとり考えた。
このお父さん、お母さん、ひとみさん、ジェンキンスさん、ふたりのお嬢さん…みんなそれぞれに想像を絶する人生。もちろん曽我さんのお父さんは、25年もの果てしない時間の後にそれでもひとみさんに再開することができたのだから、再開を果たせないでいる他のご家族よりはよかったと言えるのかもしれない。更にその後もジェンキンスさんの運命を巡って苦難な道を歩んだけれども、そのジェンキンスさんもようやく佐渡に渡り、ひとみさんのお父さんと顔を合わせる夢もかなった。ふたりの孫達もおじいちゃんに初めて会い、触れ合う時間を過ごすことがかなって、きっと覚えた日本語で話もすることがかなっただろう。もちろんそうなのだけれど…。いや、そうだからこそなのかな。なんだかひとみさん、ジェンキンスさん、お孫さんたち全員がようやく佐渡に帰ってきて、そしてどうにか一緒に暮らしていけることを見届けるまでお父さん待っていたみたいで、なんだかその切ない運命になんとも言いようがないです。


「妻である私の母には会わせてあげることができませんでした。そのことを考えますと大変心が痛み、後悔が残ります」、「長生きしてほしいと思っておりましたが、思い通りにはいきませんでした。私の家族には会わせることができ、それが何よりの親孝行だったと思います」。また「(父は)意識もうろうとしている中でも寂しそうに私の方を向き、誰かを探しているような、何かを訴えたいかのようにじっと見つめていました。きっと母を探していたのだと思います」。これはすべてひとみさんのコメント。ひとみさんはなんて心やさしく、そして表現が澄んでいるのでしょう。こう思ったのは実は今日はじめてではないのです。なんでなのでしょうね。辛く、辛く、胸が引き裂かれるような思いを人生で何度も味わったから?曽我さんが初めて日本に降り立った日の「山、川…」というスピーチも誰にも真似のできない表現でいっぱいだった。曽我さんの人生のような苦労を経てこそ、辿り付く心の境地なのかもわからない。しかし、少なくとも、長い海外生活のあとの曽我さんが話す日本語の表現の美しさは、少しでも見習いたい。